旅のススメ
海外はおろか国内旅行すらおぼつかなかった管理人が
地球一周の船旅を通し徐々に旅なれていく様子と旅からの学びを詰め込んだ冒険の書
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2010年12月の記事一覧


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※インカの道、石済みからインカ文明の技術力の高さが伺えた

オーバーランド3日目はペルーリマで目覚め
早朝から移動してクスコへと入った

ここはペルー有数の都市であり
マチュピチュへ向かう旅行者の玄関口にあたる
標高はマチュピチュのそれより高い

今日は現地のツアー会社が用意したバスに乗り、観光地を巡る
最初に向かったのはサントドミンゴ教会(コリカンチャ/太陽の神殿)
ここはかつてのインカ時代には神殿があったところ
そこにスペイン軍が侵略してきて、教会として立て直した歴史建造物だ

※綺麗な部分は再建されたもので、現在の技術でも隙間無く造るのは難しいとの事だが…。

土台はインカ人が築いた石造りで、大岩を積みあげて造られている
日本のお城の石垣をイメージしてもらうと解りやすいが
驚くのはその岩が硬く大きく、また継ぎ目に紙すら入らないのではないかというくらいに隙間がない
古代インカ人の高度な技術力が伺える

それと比べてしまうと、その上のスペイン人の増築部分がなんとも安っぽく感じた

※神殿内にはこのような黄金の財宝がたくさんあったらしい

言語も宗教も文化も奪われたインカの民は、意に反し
他国の宗教建築物を作らされての手抜き工事なんだろうか?

南米に入ってから
かつてのスペイン勢力がいかに絶大だったのかを垣間見る事ができる
この場所もそうだし、これから訪れるマチュピチュも
スペインの侵略無しには語れない

誰かがバスの中でツアーガイドに尋ねていた

「スペインはこの国の多くの魂、言語、宗教、文化、財宝を奪いました。この国の人たちはスペインを恨んでいますか?」

いかにもピースボートの乗客らしい質問だ
ガイドは凄惨な事実を受け止めた上で

「この国の人は過去を受け入れて、スペイン人がもたらした当時からすると先進文化を自分たちのものにしました。そして言語がスペイン語になったことで多くの隣国と交流が可能になったことなど、好意的に受け入れる人も少なくないんです。」

と語った。
質問者は予想外の答えに閉口していた

※クスコの屋根は統一された色で綺麗だった、この土地も何度も侵略を受けている

もちろんこれは一例だろうが
日本に帰国してから出来たペルー人の友人も
おおよそ同じ事を言っていた

付け加えて彼が言うには、歴史などではスペインの侵略行為をしっかりと学ぶそうだが
その上でもスペインに恨みなどほとんどないらしい

起きてしまったことを受け入れて
その中から新たな生きる術を学びとる健気で逞しい生き方には
学ばされることが多い


続いて旧市街へ
ここはスペイン風の建物が多く見られる場所で
寄港地のあちこちで目にしたような光景だ
美しい中世の町並み

※カテドラル、かなり大きく立派、目の前の広場は広々としていて市民の憩いの場となっているようだ

だがここには今までの国では見なかった光景が目に付いた
ストリートチルドレンだ
建物の隅に折り重なるように多くの子供達が寝そべっている
力なく、うつむき眼差しも冷たく曇っている
その数にも驚いてしまった。

この旅では未知の世界を見る興奮と、自分がこのように生まれついた幸運
そして、なんともいえない罪悪感を感じる事が多かった。
いつも興奮し胸が躍り、また考えさせられて冷静になる
それを繰り返しながら旅を続けていた

実際のところ、心が沈んだ後の事
旧市街のアルマス広場からすぐの石造りの旧道に入ると
その光景に圧倒されてすぐに心は奪われていた

※12角の石、隣の岩との隙間はない、かなり大きな面積いびつな岩だが、なぜそのままつかったのだろう?(写真右:ゼブラ氏)

後で思うに、その場だけでの関心は、結局は無関心ということなのだろう


※石畳の道路もあってとても綺麗、あたりにはお土産屋も軒を連ねていた

美しい石畳と高度な技術で作られた石垣は
歴史経過を感じさせないほどどっしりと立派に構えていた

その後はレストランで昼食
店内にはアンデスの衣装の男達がアンデス民謡を奏でていた
お馴染みのコンドルは飛んでゆくを本場で聞けたのには感動した

※レストラン前の噴水が綺麗だった

食事もいろいろな種類があったのだが
罰なのか、吐き気を催し食欲がわかない
唇も青くなってきて震えも止まらない

解毒作用を期待してコカ茶を大量に飲み
お店の人の厚意でペットボトルにもコカ茶を入れてレストランを後にした

※コカ茶、コカインの原料となるコカの葉を使っている為、国外に持ち出すことは基本できない

明日はマチュピチュに向かうために
幸い朝早くの出発になるとの事で
割と早い時間にホテルへと向かった…。のだが

ホテルは遠かったようで
かなりの時間バスに揺られることとなった


コカ茶の解毒が利いてきているのか
正直爆発寸前だった


30前にもなって
バスの中で粗相をするところだった(汗


※ホテルへの道中でリャマを引くアンデスの少年に出会った

ホテルに到着したときには既に陽が沈みきっていた
今まで経験した最上級のホテルで
設備も充実していた、敷地内に教会があったのには驚いたし
翌朝も早い事もあり、堪能できずに残念

それでも
ディナーでリャマの肉を食べる事が出来たし
ゼブラとビリヤードで泥試合(二人とも下手すぎて)も出来たわけだから
良しとしよう


明日は憧れのマチュピチュ

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posted by アキ at 2010/12/21 21:14
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※サンフランシスコ教会、世界遺産

久々に揺れないベッドでの目覚めは気持ちが良いものだ
オーバーランド初日は飛行機でマンタからキトに移動しただけ
観光はこれから、キトには世界遺産の街がある

夕方まで自由行動の時間があったので
同室のゼブラと、ピーチちゃん、まりっぺというメンバーで回ることに

ホテル横のタクシーに交渉して
世界遺産の街を見守る




パネシージョの丘の聖母像を目指した。
どのタクシーも料金表を積んでいるようで交渉の余地はなかった
物価からすると高めに感じたが、バスなどを聞き込む時間がもったいなかったし
女の子もいたのでタクシーで移動することにした

かなり整備された道を走り、旧市街を迂回して
聖母像があるパネシージョの丘に向かった
なんでも旧市街周辺は渋滞がひどいのだそうだ

※聖母像、正面からの写真を撮り忘れてしまった(泣

キトの街のシンボルらしいが観光客の姿はあまり見えない
風貌の変わった聖母像は思ったより大きくて
確かに街を一望できる場所にあった

入場料を払えば、女神の中に入り高台に上がることもできる
聖母に近い視線で街を一望する

※聖母像の中、かなりメタルチックだった

※写真ではわかりずらいが、左手の家々は緑、右手の家々はオレンジがベースカラーとなっている

山の傾斜にもびっしりと家々があり
集落毎に統一された壁と屋根の色をしていて
なかなか面白い光景だった。

パネシージョの丘からは旧市街が一望できる

キトのシンボルを後にして、世界遺産の街へ
運転手の言うとおり、街に近づくにつれて渋滞が酷くなっていくようだ
世界遺産のサンフランシスコ教会の手前に停めてもらった
ここまでが約束の価格、運転手はホテルの前に戻るプランも提示してきたが
そこからは歩いて帰る事にした。


スペイン統治時代を思わせる旧市街の町並みはとても美しい
コロンビア同様に、ここにスペインの街があり
住んでいるのはエクアドル人といった感じ
南米に着いてからスペイン勢力がいかに強かったかを感じる事ができる

あまりに徹底されているが故に
ここに文化違いの美しい街が広がっていることに
なんら違和感を感じないのだから怖いことだ

街を散策していると広場に人だかりを発見
独立広場だそうで、騎兵隊が人を整備していた

※写真中央は1830年の独立記念碑

広場の前には大統領の宮殿があり
宮殿から男が乗り出して、民衆に手を振っていた
湧き上がる大歓声

※建物に人が多すぎはしないだろうか?護衛?


彼が何者なのかはわからない

VIPという事だけはわかった



美しい街並だけでなく
ちょっと珍しい光景に出会えて大満足

※キトのスイーツ、日本より一回り大き目な感じで1ヶ80円ほどだった

その後も街をぶらぶらしながらホテルに帰った
帰り道、何人かの街の人に
「カメラは隠さないとダメ!」
と注意された
ひったくりやスリなどが横行しているのだそうだ

※遠くに丘と聖母が見える、ひったくられなかったのはご加護のお陰です。

その後はそれぞれ解散
これからマチュピチュに向かうのに
満足な防寒具を持っていなかったので
ホテル近くの蚤市でアルパカの毛の上着を買い
一日が終わった





※蚤市、様々なものが売っていてあきさせない

結局、エクアドルは素晴らしいところでしたw

明日は国が変わって
ペルーのクスコ

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posted by アキ at 2010/12/20 20:57
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※港の玄関にはマグロのモニュメントがある、沖は好漁場でマグロが多く水揚げされるらしい

スペイン語で赤道を意味するこの国
そしてここから船を離れるオーバーランドツアーに出発し
数日後には憧れのマチュピチュ

ツアーは午後からなので、午前中は以前のオーバーランドのスペインで一緒した
Tさんと行動することにした
彼は孫がいるくらいの年齢だが、見た目は若々しい

港を出ると大きなマグロのモニュメントが迎えてくれた
タクシー運転手の勧誘をかわしながら、ビーチを越えた先にあるという
スーパーマーケットを目指した。

※マーケット近く、南米の壁には文字や絵が描かれている事がある

スーパーマーケットはけっこう広めで品揃えも悪くなかった
商品も綺麗に陳列されていて、おもちゃなども売っていた。

※スーパー内の野菜達、日本には馴染みのない野菜も多い、外国での楽しみの一つだ

Tさんが45分後に集合と言ったので、適当にぶらぶらしていたが
普段からあまり買い物しないので、ウィンドウショッピングもやがて飽きてたっぷりと時間を持て余してしまった。

船の中の売店は狭いし高いので、船旅のように長期間の旅でおまけに置き場にも困らないとあって
乗客はここぞとばかりに物資を買い込むこともある

45分もスーパーに費やすとは、彼はそうとう買い込むのだろう


と思っていたが…。




時間通り集合場所に現れた彼が手にしていたのは
まさかの袋詰めのピーナツ一袋だったw


気を取り直して先ほど通り過ぎたビーチへ向かう
けっこう海水浴客が集まっているし、何かの催しも行われているようだ

※かなりの数の人が海水浴を楽しんでいた、写真に納まりきらないがビーチは驚くほど広い

浜辺は広々、薄い雲が広がる空模様の為か海の色はまあまあという感じだった。
露天で購入した水っぽいフルーツを食べながら海岸沿いを歩く

船の乗客達のいくらかはここで海水浴を楽しんだようだ
水着を用意していなかったので泳がず
海岸沿いのレストランというか、海の家のような食事どころへ

ここならではの料理が食べたいというと
お世辞にも見た目が良くない
レタスやトマトの上に海老が無造作に置かれ
下にタコなのかイカなのかナマコなのかという切り身が乗っていて
なにやらソースがかかっているような生臭いものが運ばれてきた

※写真では色鮮やかで美味そうに見えるが…。

かなりおそるおそる口に運ぶ





すっぺっっっっっーー







野菜のうまみとか
魚介のうまみとか
そういうの関係ない
とにかく酸っぱい、ちょっと口に合わなかった

なんとか完食
個人的にこの旅のワースト2の食事となった。

その後はビーチを離れて当てもなく大通り沿いに歩いてみた

※海岸沿い、大小様々な漁船が数隻見えた

※マグロのモニュメントの別のもの

するとステージのある野外会場にたどり着き
ピースボートの乗客達も多くいた
というのもマンタ市長も来て、船の到着を歓迎するイベントを開いてくれたそうだ
スピーチや双方のパフォーマンスなどあったようで
船の面々はよさこいを披露したそうだ

船の人たちのよさこいの演舞を見れなかったのは残念だったが
商魂逞しい物売りが売りに来た品を見るなどして楽しむ事ができた
会場で出会った何人かに
マチュピチュ行ってきますと挨拶して
他の人たちより一足先に会場を後にした。

※港沿いの道は車どおりは少ないが立派でよく整備された道があった、歩道も広いので商売もできる

船に戻る途中に、先ほどまでがらんとしたスペースにテントが張られていて
バナナの売り子の店がオープンしていた。
売り手は先ほどまでここで楽しくのんびりと団らんをしていた人たちだった
会場に向かいかなりの人数が向かった、彼らのサイフはホクホクしていたはずだが

期を逃している…。


陳列したバナナと、横を通る人(俺)を尻目に
楽しい団らんは続いていた

やる気は?…。


俺が貧乏だと見切ったのか、日本人に見えなかったのか
すさまじい商魂の人とやる気を感じない人
外国ではこの両極端をたまに見かけるw


船に戻るとツアーに参加
バスが向かった先で木の実の彫刻を見て、石のような硬さの実に驚いたものの
全体的に何となく薄い印象でエクアドルのマンタを後にした

※木の実の彫刻、艶もあり硬いので石で出来ていると思うほど、造形も細かくて美しい

明日は美しい街、エクアドルのキト
オーバーランドをとって良かった
でなければ、エクアドルの印象は
すっぱ生臭い魚介と、やる気のないバナナ売りだけの思い出になるところだった。

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posted by アキ at 2010/12/19 20:45
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※パナマ港、駐車場が混雑していた

パナマ運河を越えて入ったのはパナマ
恥ずかしながらこれが国の名前だと知ったのは
このクルーズのおかげである

水位の異なる2つの海洋、大西洋(カリブ海)と太平洋を繋ぐこの運河は
段階式に水門をあけて水位を調整し上り下りする
いわば船の階段で
途中にガツン湖を経由する

この運河があるおかげで
大きな大陸を迂回する必要がないのだから
すごい仕組みである

その運河が横断するこの国は治安がとても悪く
自由行動はもっともお勧めしないだけでなく
夜間に至っては外出禁止令まででていた

もちろんここでもツアーは取らずに自由行動にした
目立った観光名所もないので
キャノピーという、ワイヤーをつたってターザンの様に滑り降りる
スポーツアクティビティにチャレンジすることにした

治安の悪い寄港地ではオプショナルツアーを取る人が多いのだが
人数制限からあふれた者達も多く
各自不安もあったのか、最終的に過去最大の人数で行動することとなった

港前にたむろしている
タクシーの運転手と交渉し11ドル(1ドルはチップ)で移動はまかせることとなった
最初に到着した場所では既に満杯
そこそこ遠い別の場所へ

※断られたキャノピー場で、しっぽを切りながら逃げないのんびりなトカゲを発見

その間たっぷりと車窓を眺める時間はあったのだが
熱帯性の木々か、古びた家々、古びた車と
特筆して目を引くものはなかった。

キャノピー場に到着
オフィスは思ったより綺麗で、受付係もきちんとした身なりをしていた
値段も印刷されたメニューに出ていて、言い値でのぼったくりは無さそうだった
しかし、それにしても金額はそこそこするのだ
船主催のそれよりはずっと安いので全員挑戦する事にしたのだが
観光客もそれほど訪れるとは思えないし
物価の安いこの国で36ドルには驚いた

キャノピーは電気などを使わずに、重力だけで滑り降りる
トラクターに乗って高台へ行き
全身に防具をつける

※トラクターでゆらりゆらりと傾斜を上がっていく

スピードが出過ぎたときに手を使ってブレーキをかける
ブレーキパッドの様な工具は持たされているが
勢い余ってワイヤーに直接ふれるのを防ぐ為
剣道の小手の様なごつい手袋を着ける

実際にキャノピーをやってみるとその重要性はわかるが
親指部分に微妙な穴があったり、
中指が出てしまっていたり
不安要素は満載だったw

※ここで身に着けた工具とロープを繋ぎ滑り降りる

木々の間を、ガツン湖の上を
キャノピーは快速に進む
眺めも良いし風も心地よくて気持ちが良かった。

※木々のポイントポイントで渋滞が発生する、みんな興奮しながら話していた

ロープは木々の間に設けられているので何度も工具をロープに外しては着けて
滑り降りていく
合計14本程度のロープを下る
最後の1つはかなり長い距離で、豪快に湖を渡った

こういったスポーツアクティビティは久しぶりだったので
皆なかなかエキサイトしていたようだ

※最後のロープ、着地点が写真では移らないほど長かった

キャノピーを終了してバスで帰る
ドライバー達は通り道に動物園があるので行かないかと言う
車内で相談して行くことにしたのだが
到着してみるとそれは動物園とは言えない代物だった
それで一人当たり5ドルだというので
それならば入らなくても良いと断ると

じゃあ無料でいいよ!と言うことになった
少しだけ見学、まあ只なら悪くはない

※他にも鹿、サル、虎、鳥などがいた

その後港に戻り解散となった
港付近を通るときに、この辺りは貧しい人々が住んでいて危険な地域だと聞かされた
たしかに建物や彼らの身なりからかなり貧しいと見て取れたが
人通りも少なくなかったので、少し街歩きしたい衝動に駆られたものの

前回寄港した際にクルーが襲われて肋骨を数本折る大怪我を負わされたと聞いたので
事件に巻き込まれたら見知らぬ外国人を助けてくれるかわからなかったし
暗くなりつつあったので外出は避けた

ビビッた
という事なのだが、旅においては臆病であるくらいが丁度良いと思う。

港内でビールを飲んでリラックスし
携帯電話を売りに来たパナマビューティに少し癒されて
パナマの旅は終わった。

※パナマビューティーにご満悦?なMr.アーム、今回も彼が一緒だった

明日はいよいよ運河を通行し
2大運河(スエズ・パナマ)を通航するという夢の一つが叶う
この旅によって沢山の夢を叶えている
パナマの出航は、次の夢を叶えるための出航となりそうだ。
次はマチュピチュへ


次はマエクアドル(マンタ)に寄港




おまけ
パナマ運河を通航するオセアニック号より
※船を両側からレールを走る車(写真中央)を使いワイヤーで引っ張る事で、船は安定して前へ進む

※この先に太平洋がある

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posted by アキ at 2010/12/16 20:29
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※カルタヘナ旧市街、スペイン統治時代の名残が残る美しい街並

この国の名を聞くと俺の単純な脳細胞は
マフィア、左翼ゲリラを連想させる
暴力が支配した時代から幾分と経過した今も
まだまだ安定していないイメージがある

空はどんよりとした曇り空
ここのところ寄港地では綺麗な晴れ間に出会えていない


ピースボート71回クルーズでは
コロンビアきっての観光地カルタヘナなので
なかでは観光しやすい部類に入るはずだ
それでも旅行会社は、自由行動はオススメしないらしい

今回は初めてムーニー(※ニックネーム)と共に行動する
他にはH君アームさん等、これまでも寄港地を共にしたメンバーに加え
最終的には、便乗する人も入れると15人くらいで行動した

港には買い物する場所やレストランなどがあった
しばらく物色していると
同じGET(船内英会話のクラス)のRちゃん
女の一人行動は怖いから同行させて欲しいとお願いされ仲間に

港を出るとタクシーやバスのドライバーなどが旅客を待ちかまえていた

交渉するとかなり値が下がった
すると空きのある車内に次々とメンバー以外の人も入ってきた、
彼らの中の数人が共に行動するメンバーとなった
最初の交渉役が金に糸目をつけない年配の乗客だったら
彼らは全て言い値を払っていたのだろうか?
ろくに話も聞かずにバスに乗り込む人たちをみて少し恐ろしく感じた

なぜこれほどあっさりと値が下がったのだろうと考えていると
それもそのはず、彼らは観光地だけでなく土産物屋に連れて行くことにより
売り上げマージンを手に入れているようだ

こういった構図は良くあるのでめずらしくはないが
彼らの中の一番英語が堪能な人が
きちんと観光ガイドをしていたのには少し驚いた

バスは最初にサン・フェリペ要塞に着いた
大きな要塞で視界が塞がれて、要塞の向こう側を見ることはできない
スペイン統治時代に作られた建造物としては世界最大なのだそうだ

※サン・フェリペ城塞、時間があれば是非登ってみたかった

残念ながら時間の関係で入ることはできなかったが
要塞を登る人が遠めに豆粒程度に見えたので
その大きさをはっきり知ることが出来てよかった

次にバスは宝石店へ連れて行った
まず工場を見学し、加工の工程を見学し
奥にある店舗に導かれるよくあるパターンのものだ

※エメラルドの加工、見物客も多いのに集中して作業していた

宝石には惹かれなかったが
ジュエリーケースの中になぜか各国の紙幣が飾ってあったのと
有名人を揶揄したフェイクマネーがあり目を惹いた
エメラルドの加工現場を見ることが出来たのも
旅の良い思い出となった

バスに戻ると他のバスが来ていた
そのバスには船のお金持ちの年配の方たちが多く乗っていた
同じ出発地からだろうが、バス代もきっと向こうが高い
宝石だって買うかもしれない

たった少しの差で
こちらのバスは貧乏な若者達をたくさん乗せてしまった
大きく命運が分かれてしまったわけだw

おそらく誰一人と買い物しなかった宝石店を後にし
世界遺産の旧市街へと到着した
バスの乗客の大半の目的地だ

※旧市街、全ての部屋がお土産屋で賑わっている、頭にフルーツ籠をのせた女性も

黄色い鮮やかな壁の建物に土産物屋が軒を連ねている
観光客も多くどこの店も賑わっている

ウィンドウショッピングも早々に
アームさんとの事前の打ち合わせ通り
自力でマングローブの森ツアーを計画していたので
バスの運転手に交渉を持ちかけてみた

・マングローブの森のボートツアー
・旧市街地観光
・港への送迎
・今までのバス代

全て込みで一人20ドルで妥結した
決して安くないが、効率良く観光するにはこれが一番
各経費を小分けにぼったくられるよりはマシである。
ここで何人かのメンバーが入れ替わった

旧市街地は後ほどじっくり観光するとして
マングローブのある漁師村へと向かった

途中まではきちんと舗装された道を進んでいたのだが
村に近づくにつれて悪路となった
さらに深刻な洪水をもたらした豪雨によって
道はぬかるみ、所々冠水して通行不能になっていた

ドライバーは村の住人に迂回ルートを聞きながら
時に旋回し、時にバックしと進んだ

※漁師村の一角、マングローブの森に隣接するこの地域では家が浸水しかけていた

このあたりは最も貧しい人たちの住む村
災害の爪痕も、自然に癒えるまで行政は介入しないのだろう
ゆっくりとしか進まないバスのおかげで
遠目で外側だけでも、彼らの住生活を垣間見ることができたのは
かなり貴重な体験であった

ようやく海岸沿いに到着
いかにも質素で粗末な手漕ぎボートが数隻用意されていた
一隻に4人ずつ乗り込みマングローブの森に突入する
船はかなり揺れて、座っているのに転覆しそうな恐怖を覚えたw

※ボート、かなり揺れるのだが舟を漕ぐ男たちは船尾に立って船を操る

ボートはマングローブの森のトンネルに入るように
頭に触りそうな距離まで近づくこともある
水は濁り気味であまり生物の姿は確認できなかったが
カニなどは見ることができた

森の中に腰まで水に浸かりながら、手投げ網か抱えている漁師がいた
マングローブの森はこの地域の生活に密着している

※マングローブの森、頭上には何かの巣なども確認できた

海岸沿いに群生している逞しいマングローブの木々を見ると
砂漠化の抑止に貢献するかも知れないと思った人の
気持ちがわかった気がした

スリリングでなかなか楽しい遊覧が終わった
どんよりした曇り空ではあったが、幸い雨を降らすのは我慢してくれたようだ

バスは再び悪路を通り旧市街地へと向かった
城壁に囲まれた旧市街地は、漁師村とはうってかわり
スペイン統治時代の名残を感じさせる
美しく風情のある町並みでまるで国が違うようだった



この世界遺産でもある街の中には
教会などの見所も密集している
街を取り囲む高さ4mにも及ぶ城壁海賊対策に建造されたもので
海に向かって砲台がいくつも設置されていた
カリブの海賊と聞くと、ディズニーランドを思い出すおめでたい
世代に生まれたが
当時はこれほどの建造物を用意するほど深刻な問題だったのだろう

※城壁、海賊の脅威の凄さを感じさせる

ここで自由解散にして自由に観光
とんずらを恐れる運転手達が
俺について回るという、いつものスタイルだ

海賊船の前で写真を撮ってくれたりしたが
口を開けば値上げ交渉w

※海賊船、旧市街近く

俺の交渉で納得してついてきた人達に申し訳ないし
約束は約束と強く主張すると
折れぬ姿勢に男達は肩を竦めて爆笑し
お前を騙すのは諦めたといわんばかりに
急にフレンドリーに、彼らの家族の事や
コロンビアの事をいろいろと話してくれた

こういった出来事は寄港地のあちこちで経験した
この瞬間がたまらなく好きだ

いくら上手く値切ったところで
彼らにとっては大きな収入であり
ただの客に過ぎないだろうが

この瞬間は少しだけ人間同士という感覚を
感じることができるように思うからだ

男の話では
観光ビジネスはやはりモンキービジネスであり
簡単に金を稼ぐことが出来る手段である事

近年の経済政策とマフィアの掃討作戦は功を奏し
かつてのゲリラやマフィアの支配といった状況は
かなり改善されてきているという事

気付くと世界遺産の街の中で
ずいぶんと長く彼らとの会話に費やしてしまった

港にもどり各自解散
土産物屋で買い物したり
地ビールを少し飲んだりした

カルタヘナ、かなり思い出深い地となった
クルーズプランに入っていなかったら
注目すらしなかった国
こういった貴重な体験に出会えるのもクルーズの魅力なのかもしれない



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posted by アキ at 2010/12/15 15:36
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プロフィール
ニックネーム:アキ
誕生日:3月12日
性別:男
自己紹介:
英会話教室に10ヶ月通った後いきなりの飛行機での世界一周、その後たった1週間後にピースボート71回に乗船という、1年以内で違う方法で世界二周するという貴重な経験を。
旅は徐々にバックパッカー風になるも、片手にはモバイルを欠かさない。

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